『いつもの和室』
ある日。
和室で、彼女はうつ伏せになって本を読んでいた。
畳に頬が近い距離で、い草の匂いをゆっくり吸い込んでいる。あの匂いが好きなんだ、と前に言っていたのを思い出す。白い障子越しの光が、昼の輪郭をやわらかくして、ページの上に落ちている。
障子のそばに伸ばした足を、気まぐれにパタパタと揺らしながら、指先でページを捲る。休日になると、だいたいこの光景だ。音は、紙が擦れる小さな気配と、遠くで鳴る時計くらい。
薄着の背中が、呼吸に合わせてなだらかに撓っている。小さくて、無防備で、妙に色気がある。なんちゃらホイホイよろしく。気づいたら上から覆いかぶさっていた。百八十八センチ、七十四キロ。自分でも遠慮という言葉を忘れている自覚はある。
それでも彼女は、もう驚かない。
「もう一静、重いってば」
そう言うことも、ほとんどなくなった。最近では、またか、と少し面倒くさそうに、だけど俺が乗りやすいように足を下げて閉じる。それが当たり前みたいになっているのが、なんだか可笑しくて、愛おしい。
前に腕を回して、彼女の頭に顎を乗せる。ぴったりとひっつくと、彼女も何も言わずに、俺の腕に頬を預けて、そのまま続きを読む。枕代わりにされる腕の重みが、悪くない。
「何読んでるの?」
なんてもう聞かない。とっくに答えを知っているからだ。松浦弥太郎の『今日もていねいに。』何度目かも分からない、彼女のいつもの一冊。毎日の些細なことをていねいに行うことの大切さや、温かさを教えてくれるそうだ。さりとて恋人への扱いについて書かれているのかは、彼女の態度から読み取れる。
時々、思い出してと言わんばかりに、こめかみや頬にキスを落とす。すると彼女が少しだけ振り返って、笑って、軽く唇を触れさせてくる。言葉はない。必要もない。
ただ、重なったままで、時間がゆっくり溶けていく昼下がり。次第に目元から力が抜けていく。ぽかぽか陽気に眠気を誘われるのは、もくもくと文字を追う彼女もおんなじで。目を擦って、くあ、とひとつ、子猫のあくび。
パタリと本の寝転がる音が聞こえれば、後から続く彼女の寝息。よくこんな大男にのしかかられた状態で眠れるな、と感心する。慣れだねぇ、と心の中でくすりと笑う。
そっと降りて、彼女の横に並んで腕の中に閉じ込める。さらさらと垂れた髪を指で梳きながら、俺はこういう瞬間のために一緒に暮らしているんだろうな、と、畳の匂いに混じって、静かに思った。