五つ年下の北信介に叱咤される話

Epilogue

 ──五年後。

 兵庫県K市。ホテルOの控室に入った。
 天気は快晴。窓から射す二本の光が、水引みたいに床の上で結ばれとるように見えた。
「信ちゃん」
「ん」
 目の前には、よう見慣れた彼女。
 せやけど今日は、いつもよりずっと綺麗で。
 日差しに照らされた髪が少し光をまとって、足元のヒールは、うちの玄関に転がっとるやつよりもずっと上等やった。
「行こか」
「うん」
 控室の奥の扉を開けた瞬間、
「わあ……!」
 彼女が感嘆の声を漏らした。
 そこには──

「姉ちゃん」

 白いウェディングドレス姿。ああ、と言いこちらを向く。
 裾が光をすくい上げて、空気ごとやわらかく染めている。
 祝福そのものが形をとったように、静かに輝いて見える。
「めっちゃ綺麗……!」
「ふふふ、ありがとう」
 両手で口元を押さえて、涙をこらえている。
 目尻が笑いながら濡れていて、なんや、よう似合っとる。
「旦那さんにはもう見せたん?」
「ううん、まだ」
「びっくりするやろな〜! 腰抜かすかも」
 くふくふ笑う彼女につられて、姉ちゃんも「想像つくわ」て笑う。
 ああ、ほんまに仲ええなと思った。
「あの明暗選手の同僚なんやっけ?」
「そうそう。チームスタッフ。今日、明暗くんも来るで」
「まじで? 握手してもらお」
 MSBY BJの明暗修吾。
 姉ちゃんと同じ高校の出身で、同窓会で再会したあと、今の旦那を紹介してもろたらしい。
 明暗選手とは今日が初対面やけど、俺の後輩も世話になっとる人やし、ちゃんと挨拶しとかなあかんなと思う。
「もう、泣くんには早いで」
 姉ちゃんが親友の顔を見て笑う。
「だって……ほんまに、嬉しいねんもん」
 普段よりちょっと濃い紅を引いた唇が、弧を描きながら震えていた。
 なんでか知らんけど、その瞬間ふと思った。
 ──この人には、白無垢が似合うやろなって。

「じゃ、また会場で」

 ひとしきり泣いて笑ったあと、彼女はポーチを持って部屋を出ていく。
 しばらくして俺も立ち上がる。
「俺も行くわ。ばあちゃんらも、もう来ると思うで」
「信介」
 姉ちゃんに呼び止められた。
「披露宴の友人代表挨拶、あの子やで」
 ふっと笑って、「それだけ!」と言い、鏡の方を見る。
 何を言いたいんかは大体分かったけど、答え合わせする気にはならんかった。
「ちゃんと聞いとくわ」
 そう言って、彼女と同じ扉を開けた。
 自分でも分かるぐらい、口元がゆるんどった。

 ◇

 チャペルは白くて、静かで、きれいやった。
 祭壇までまっすぐ伸びるバージンロードに、朝の光が流れ込んでいる。
 姉ちゃんと義兄が入場して、祈るみたいに誓いの言葉を交わして、指輪を交換する。隣でばあちゃんが涙を流してた。
「お姉ちゃん、綺麗やなあ。ほんま、きれいやなぁ……」
「……せやな」
「信ちゃんの結婚式も、楽しみやなあ……」
「……おん」
 まだ相手もおらんのに。
 ばあちゃんは、俺が高校生の頃から時々そう言う。
 チャペルに拍手が響いた。
 白くて壮麗な空間を背に、姉ちゃんたちはゆっくり退場していった。

 ◇

「北さん!」
 ホテルの廊下を歩いてると、懐かしい声に振り返る。
「久しぶりやな、侑」
 明暗選手の世話になっとる後輩──宮侑。
 今は同じチームで、プロとして活躍している。
「明暗さん、この人が俺の先輩で新婦の弟さんッス」
「おお、アンタがあのキタサンかいな。お噂はかねがね」
 明暗選手が手を伸ばしてくる。
 その手に応えて、しっかりと握手した。
「侑と姉がお世話んなってます」
「どーも、お世話してます。な! 侑!」
「……ウスッ」
 バツの悪そうな顔をする侑を見て、口を開きかけた瞬間、後ろで声がした。
「ええ!? 光太郎くん!?」
 彼女の声。振り向くと、口元を押さえて目を丸くしている。
「めっちゃ久しぶりだよなー!! ──!」
 男が笑う。彼女に親しみを込めて呼び捨てで呼ぶ。
 ぐ、と。自分の眉間に皺が寄るのが分かった。
 男の顔に見覚えがあった。確か──
「信ちゃん聞いて!」
 彼女が俺に駆け寄る。
「この子、東京の友達の弟! 明暗選手とおんなじチーム!」
 男がきょろりと猛禽類のような目でこちらを見た。
 そうや。思い出した。
 ──木兎光太郎。
 俺と同じ代で梟谷の主将やったやつ。
「光ちゃん元気やった? めちゃくちゃ大きなったなー!」
 すごい偶然やなー! と年甲斐もなくはしゃぐ彼女に胸の奥がちり、と焦げる。
 ──俺よりも、古い幼なじみ。
 また眉間に皺が寄っていた。
 そのことに気づいて、ふう、と一つ息を吐いた。
「…………北さん?」
「行こか」
 背を向けたら、背中に光が当たった。
 少し、熱かった。

「なんでやねん」
「なにがよ?」

 披露宴の会場。
 彼女が家族席に座っている。俺の隣。
 友人席もちゃんとあんのにな。
 ……何考えとんねん、姉ちゃん。
「別に? もう家族みたいなもんやし。な、おばあちゃん」
「せやなあ、もう家族や」
 ばあちゃんもふふふ、と笑う。
 弟も両親も、自然に話しかけている。
 まるで最初から、この席が彼女の場所やったみたいや。
 なんやろな。外堀がとっくに埋まっとる気がする。
 というか、もう内側におるな、この人。

『新郎新婦のご入場です──』

 司会の声が響く。姉ちゃんと義兄が入場した。
「ドレスめっちゃかわいい〜!」
 隣で彼女がスマホを構えて、目を輝かせる。

「……着たいんか?」
「当たり前やん!」
「相手もおらんのにな」
「あの姿をな、頭ん中で自分に置き換えて婚活のモチベにすんねん」
「ほおん」

 ──婚活。 婚活、か。

「そんな頑張らんでええやろ」
「いやもう孤独な未来しか視えんのよ」
「そうやない」
「ん?」

 小首をかしげるその仕草が、なんや可愛らしい。

「信ちゃんは、和装のが似合いそうやな」
 タキシード姿の花婿を見ながら、彼女が言う。
 薄い紅を引いた唇が、光を受けて揺れていた。
 俺も、さっき同じこと考えとった。

「──ちゃんもな」
「ほんま? ほな白無垢かなあ……、アリ」
「ふっ、せやろ?」
「盃を交わすのって、ちょっと憧れるわ」
「ほおか」

 親友の晴れ姿を、目を細めて、柔らかな眼差しで見つめる彼女。
 俺も同じように、見つめる。

 口元が勝手に綻んだ。
 自分の考えに笑ってまう。
 
 
 婚活なんて、せんでええ。
 孤独になんて、させんから。

 白無垢が着たいなら、着ればええ。
 ああでも、色仕掛を着ても綺麗なんやろな。

 ……なんてな。

 照明の白が静かに揺れて、
 光の粒がひとつ、彼女の髪に落ちた。 

End.