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窪谷須遭難中〜生還後の日村視点
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遅めの昼食に手を伸ばしながら、何の気なしにテレビをつけた。音がほしいだけ。寂しさを隠すためのささやかな工夫。
けれど、その無防備な沈黙を破ったのは、知らない声だった。妙に硬く、震えを孕んだ声。
「昨夜、〇〇沖で高校生男女8名が乗った旅客船の行方がわからなくなり──」
画面の中のアナウンサーの声が、不自然に震えていた。訓練された平坦さが破綻しかけていて、彼の不安が伝染してくる。
スプーンがカチンと鳴った。自分が止まっていたことに気づいたのは、その音のせいだった。
足先から背筋へ、冷水を流し込まれたような感覚。反射的に息を吸い込んだのに、肺はうまく膨らまなかった。
──高校生。船。行方不明。
思考が、ざわりと泡立つ。心が、過去にさかのぼる。
昨日の放課後。
窪谷須くんに呼び止められた。視線は落ち着かなげに泳いでいたけれど、その声には誘いをかける不器用なあたたかさがあった。豪華客船での旅行。どこか他人事のように断ってしまった。
ニュースが続いている。けれど、名前は出ない。出るはずがない。そう思うのに、体はすでに知ってしまっていた。背筋が冷え、胸の奥で何かが裂けるように、痛む。
夜。
静かすぎる部屋でスマホの画面ばかりを見つめていた。通知は一つもない。ニュースアプリを開いても、彼の名前はどこにもない。当たり前だ。それでも、何度も画面を更新してしまう。
「……違うよね」
ひとりごとのように漏らした声は、壁に吸われて消えていった。
過去の記憶がよみがえる。
伯父の家に預けられていたあの夜。世界の音が消えて、ただ伯父の慌てた声と、冷たい風の音だけが耳に残っていた。
あの時と、まったく同じ匂いがする。何かが終わってしまった後の、静けさ。
月曜日。
セーラー服のリボンを結ぶ指先がかすかに震える。
学校の昇降口はざわついていた。いつもと違う。その違和感の正体が教室を開けた瞬間に理解できた。
「……照橋さんが……」
「ウソだろ……照橋さん……」
「やだ、やだよ……なんで……照橋さん!!」
「帰ってくるよね……? 照橋さん……」
声にならない声が、そこかしこから洩れていた。泣き声のような祈りのような、希望をすり減らす音。耳が熱を持ち、視界の輪郭が曖昧になる。心臓の裏を、誰かに掴まれているみたいだった。
やっぱり。
あの船に、彼も、彼女たちも、みんなが乗っていた。
私だけが、ここにいて、無傷で──。
目の前が滲んだ。何が見えているのか、わからない。
誰の声も届かない。
ただひたすらに、胸の奥が、抉られていた。
◇
彼が数日ぶりに登校してきた日。私は彼の腕の中にいる。それだけなのに、呼吸の仕方を忘れそうだった。
背中を掴んだ指先が震えているのは、たぶん冷えていたせいじゃない。自分の中のなにかが、ずっと張り詰めていたものが、静かにほつれていく音がした。
この数日間、ずっと耳鳴りの中にいた。
携帯の通知も、通学路の雑踏も、ギターの音すら、どこか遠くて。他人の会話がまるで雑音のように響いて、食べ物の味もしなかった。
何も知らずに笑ってる人たちが、羨ましくて、怖かった。
あの時、断った自分を責める夜もあった。もう会えないかもしれないと、何度も思った。
でも、今、ここにいる。
感情のコントロールができない、情けない私を、ただ抱きしめてくれた。
いつも、私はひとりで何とかしようとしてきた。傷つくことにも慣れて、忘れるふりも得意だった。だけど今は、忘れたくないと思った。
彼のぬくもりも、心臓の音も、触れたときの微かな戸惑いも。
全部、ここに刻まれていてほしいと思った。
「ただいま、日村」
“それ”をもう知っていたのに、失いかけてから初めて気付いた。
静かだった日常に、ノイズのように入り込んでいた彼の存在がいつの間にかこんなに大きくなっていたなんて。
「土産話でも持って帰ってくるわ」
──あのときの声が、耳に焼きついて離れなかった。
冗談めかした言い方の裏に、期待と寂しさが同居していたのに、私は気づかないふりをしていた。
「こういうの、ほんとに、やだ……」
まだどこにも行かないで。
もう少し、あなたのそばにいられるように、ちゃんと向き合いたいから。
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