だいたいNARUTOのせい

 個人サイトを作ろうと思い立ってから、気づけばもう一か月が経った。
 そろそろ公開したい。したいのだけれど、進捗はどうにも頼りない。自分でも、あまり胸を張って報告できる状態ではない。

 理由ははっきりしている。NARUTOである。

 毎晩、配信サービスで流しながら作業をしているのだけれど、当然のように手が止まる。いつの間にか視線も意識も全部そちらに持っていかれている。作業用BGMのつもりで再生したはずなのに、いつしか視聴のほうが本業になっているのだから、実にどうしようもない。
 子ども時代のエピソードは、たしかもう二十年近く前のものだったはずだ。それなのに今見ても、きちんとおもしろい。思い出補正だとか懐かしさだとか、そういう“エモブースト”を差し引いても、ちゃんとおもしろいのだからすごい。岸影様に合掌。

 令和の今では、こんなにもまっすぐな「友情・努力・勝利」を、あまり見かけなくなった気がする。
 あの潔さ、あの熱さ、あの真正面から人を信じにいく感じ。ああ、これぞ週刊少年ジャンプだったな、と思う。

 ああいう物語は、大人になってから見ると妙に沁みる。
 とくに、自堕落に生きている身にはなおさらだ。ナルトの純粋さや、サスケを信じ抜こうとする一途さは、もう、眩しいを通り越して少し痛い。
 こちらはといえば、初対面の相手に必要以上に親切にされれば「何か狙いがあるのでは」と身構えるし、推しだって一人に定まらず、あっちへこっちへ心が忙しい。ナルトとはあまりにも生き方が違う。
 NARUTOを読んで育ったはずなのに、自分はいったい彼の何を見ていたのだろう。

 とはいえ、カカシ先生は「忍びは裏の裏を読め」とも言っていた。
 そう考えると、こちらのひねくれた警戒心も、まるきり無駄ではないのかもしれない。いつ誰を失うかわからない世界なら、気持ちの切り替えだって生存戦略のひとつだ。忍術こそ使えないけれど、忍としての資質だけは案外育っていたのではないか。
 ……などと言ってみるものの、要するに、たぶん何も学んでいない。

 それにしてもNARUTOはおもしろい。
 このままアニメを見終えたら、今度は原作を読み返したくなる。けれど全72巻の超大作である。これだけでもう十分に本棚が埋まるのに、さらには彼らの子供たちの物語「BORUTO」もある。超・超大作じゃないか。全部揃えるには少々懐が寒い。賞与が待ち遠しい。

 今回、あらためて見返して「いいな」と思っているのは、キバくんだ。
 まず顔がいい。ちょっと窪谷須味がある。好み。

 性格も勢いがあって、野性味があって、でもどこか不憫で、そこがまた愛しい。犬にやさしいところもすごくいい。ワイルドさとやさしさが同居している男の子には、どうしたって弱い。
 彼と恋をしたらどんな感じだろう、と、つい想像してしまうのが夢女という生き物だ。さらには、最愛の窪谷須をNARUTOの世界に放り込んだらどうなるのか、などというクロスオーバー妄想まで始まる始末で、こうなるともう、作業が進まないのも当然である。

 サイトの公開までは、まだしばらくかかりそうだ。
 載せるにあたって手を入れたい小説がいくつもある。あれも直したい、これも整えたいと欲が出るたび、完成は少しずつ先へ伸びていく。
 けれど、そうやって寄り道しながら好きなものに時間を奪われるのも、たぶん悪いことばかりではない。楽しいから。

 そう。楽しければだいたいオッケー! それが同人活動におけるマイルール。

 誰にも迷惑かけてない、はず。