【三】
婚約者の命日を数日後に控えた日。昼食をとるために馴染みの町中華へ入った。
「いらっしゃい。あ、松川さん」
「ども」
席に着くと、店員がお冷とおしぼりをテーブルに置いた。
「今日はどうしますか?」
「ラーメンセットに半チャーハン。あ、セットの餃子はニンニクなしで」
本当はニンニク入りの餃子をビールで流し込みたいところだが、あいにく勤務中だ。
「俺は……『カタヤキ』で。あ、あとニンニクなし餃子も追加で」
「はーい。ラーメンセット、ハンチャー! カタヤキ、餃子追加! どっちもニンニクなしでーす!」
店員の小気味いい声が、店内によく響く。
今日は後輩で、元チームメイトでもある矢巾秀と一緒だ。昼休みに外へ出たところ、コンビニへ入ろうとしていた矢巾を偶然見つけて声をかけると、向こうもちょうど休憩に入ったところだというので、昼飯をおごってやると言って連れてきた。
「絶対うまい店っすよね、ここ」
期待に染まった声で言いながら、矢巾は店内をきょろきょろと見回している。スポーツインストラクターとして働くこいつと会うのは、久しぶりだった。
「最近どうしてんの。合コン三昧?」
「それが最近、合コンの回数が減って参ってますよ。周りもどんどん結婚して、合コンの需要がないんすよね……。出会いがないです」
「女好きには死活問題だな」
「そっすよ。……あ、そうだ、松川さん」
矢巾が唇の端を上げ、意地の悪そうな顔をした。何の話をしようとしているのか一瞬で察する。
「結婚したらしいじゃないですか。しかも、結構前に。花巻さんから聞いて驚きましたよ」
やっぱり。口の端がほんの少し引きつった。彼女と結婚してあと二か月ほどで一年になる。
「教えてくれてもよかったじゃないすか」
「悪かったって」
あのころは私生活についてあまり話したくなかった。矢巾を信用していないわけではない。癖みたいなものだ。自分から言わなくても、そのうち誰かの口から聞くだろうと考えていたところもある。実際そのとおりになった。
「せめてもの結婚祝いに、ここは俺におごらせてください」
そうきたか。先輩としての意地もあって断ったが、矢巾は譲らなかった。チャラいくせに根は熱くて男らしい。そういうところは昔から変わっていないのだろう。
「奥さん、美人だって聞いてますよ。写真ないですか。見せてくださいよ」
「……花巻が言ってたのか?」
「そっす」
花巻め。まあ事実だから気にする必要はないけれど。
少し迷ってからスマホを取り出して写真を探す。すぐに目当ての一枚を見つけて、画面を矢巾へ向けた。
「ほれ」
「おお、おきれい……!」
「でしょ」
「羨ましい!」
矢巾は拳をテーブルへ叩きつけて悔しそうに声を上げた。何をそんなに悔しがっているんだか。けれど、妻を褒められるのは思いのほか気分がよくて、大人げなく得意げな顔をしてみせた。
矢巾に見せたのは新婚旅行で撮った写真だった。蒸気機関車を背景に、俺たちは肩が触れそうな距離で並んでいる。こちらのスマホを構えた観光客が妙に明るい声で「旦那さん、もう少し寄って」と笑っていた。彼女は恥ずかしそうに眉尻を下げていて、俺もいま見返すとずいぶんむず痒い顔をしている。
矢巾は馴れ初めから、結婚して変わったこと、喧嘩をしたらどちらが折れるのかまで、昼下がりの雑談にしては少し踏み込んだことを次々と尋ねてきた。以前なら私生活の話はすぐ周囲へ広がってしまうのが嫌で曖昧に答えていただろう。けれど今日はなぜだか、するすると言葉が出てくる。妻を褒めてもらったうえに、気心の知れた後輩が相手だからかもしれない。
それでも、結婚に至った経緯や新居ではなく彼女の実家に住んでいることは濁しておいた。
「はい、お待ちどう」
ラーメン、餃子、半チャーハン、それから湯気を立てるカタヤキがテーブルへ並べられた。カタヤキとはあんかけ焼きそばのことらしい。心の中で納得しながら矢巾を促す。
「食うか」
「いただきやす!」
矢巾は両手をぱちんと合わせ、勢いよく答えた。その音と崩れた「いただきます」が、昔の部活の合宿を思い出させた。