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日村視点
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子供のころに憧れたのは、物語に登場する華やかな姫君や、彼女を迎えに来る王子様ではなかった。私の視線はいつも、そのふたりの脇にいる──剣と誓いで彼らを守ろうとする、静かな騎士の姿だった。
ベッドサイドには、いつもアーサー王物語が積んであった。特に、太陽の力を宿した騎士の章は何度もめくったせいで、装丁の角は丸まり、背表紙も擦れている。幼い私にとってそれは、守ることの誇らしさと、孤独に耐える勇気が詰まった一冊だった。
恋人になった彼と並んで歩きながら、この一年を振り返る。
話し始めると、互いの記憶の「トリガー」が、どこかずれているのがわかる。彼が選ぶのは、春の初デート、夏の遭難劇、秋の命日、冬の看病──四つのキャプション。でも、私はどうしても、場面で思い出してしまう。
たとえば、彼に初めて”昔の憧れ”が重なったとき。
昼休みの校庭でお弁当を食べながら、海藤くんとの友情の話をしてくれたことがある。(盟友って、なんだ?)と半分聞き流していたけれど、ふと、その言葉尻にあの頃の騎士物語の気配を感じた。
他校の不良に絡まれた海藤くんや斉木くんを、彼は拳で守ったのだという。「手を出しちまった」と、どこか後ろめたそうに振り返りながらも、横顔には誇りがにじんでいた。
『仲間傷つけられると、我慢ならねぇんだ』
その目に浮かぶまっすぐさは、仲間を裏切れない誠実さそのもので。
『俺は元々不良でよ。結構………ヤンチャだった』
気まずそうに頬をかくその仕草にも、過去を打ち明ける“勇気”があった。
『一度決めたことは守る。それが漢だからな』
筋を通すこと、約束を違えぬことに、ひそやかな“名誉”を感じる。
そして、つい最近のこと。
『惚れる女は生涯一人』
私の目を見つめて、冗談みたいに思える言葉──でもどこまでも真剣に、そんな“信念”を口にする。
気がつくと、騎士に惹かれていた気持ちは、生き様への敬意でもあり、今となっては恋心でもあるのだと知った。
時々、彼の言葉が照れくさいと感じることがある。内容そのものじゃなくて、私のなかの“願い”が、ふいに頭をもたげてくるせいだ。
あなたは私の騎士です──そんな言葉、とてもじゃないが口にできない。けれど彼の荒々しい口調や、何気ない仕草のなかに滲む不器用な優しさに、私はあっけなく子供の頃の自分に戻されてしまう。
「この1年、日村には振り回されちまったわ」
「……こっちのセリフだよ」
お互いにからかい合いながら笑う。彼が私の心に残した言葉を、本人はもう覚えていないかもしれない。きっと、無意識に零れ落ちた本音だからこそ、私をこんなにも振り回す。
だから少し、意地悪してやろうと思ったことがある。
クリスマスカードに筆記体で『I fancy you』と書いた。彼が英語に弱いのは知っていたから、きっと読めやしないと思って。案の定、彼は何も言わなかった。けれど、少しだけ、安心している自分もいた。
「……ふっ、ふふ……」
「……な、なんだよ?」
不器用な彼の困惑に、思わず笑いがこぼれる。何も知らないままでいてほしいと、また意地悪な気持ちが顔をだす。
「これ、梅の花だよな?」
「うん。桜に似てるよね」
「桜といやぁ、花見だよな?」
ちっと気が早いか、と彼が笑う。私もつられて笑い返す。ほんのささいな会話が、どうしようもなく嬉しい。
彼への想いは、音楽の和音のように、少しずつ色を重ねていく。最初はただ「声がいい」と思った単音が、いつの間にか“窪谷須くん”という旋律になり、ふたりの時間を通じて、響き合い、広がっていく。
彼が「一生の女」だなんて大袈裟なことを言うから、「今度はプロポーズの予約?」と冗談を返そうとして、やめた。未来のことは、まだわからない。ただ、“一生”の形は人それぞれなのだろうと思う。
◇
部屋で夢ちゃんから借りた漫画を読んだ。
──現代から異世界に転生した悪役令嬢の物語。
クラスメイトが教室でお姫様願望を夢中で語っているのが聞こえてきて、最近の流行りは悪役令嬢だけどね、と夢ちゃんが囁いてきた。
聞き慣れない言葉に首を傾げていると、彼女が読んでみなさい! とこの漫画をカバンに突っ込んできたのだ。
国を追われた令嬢の結末は、王子ではなく、別の誰かに溺愛されていた。その幸せそうな後ろ姿を見て、不意に気づく。
ああ。
なんだ。
子供の頃の憧れと、今の自分が選んでいるもの。
あのとき見上げた物語と、今、目の前で一緒に歩いている現実。それらは、まっすぐ一本につながっているのだと、やっと思えるようになった。